2009年1月22日木曜日

なぜ、共謀罪のような法案が出てくるのか。

1、前回「共謀罪」について検証しましたが、明治中期に成立した現行の刑法でも共謀罪のような刑罰は定められていません。現行刑法は特に国民の権利を尊重し人権を過度に制限しないように作られたものではなく天皇の権限がすべてに優越した憲法原理の支配下にあった刑法にすぎませんでした。しかし、そうした現行刑法であるにもかかわらず犯罪の共謀だけで刑罰を受けるという共謀罪のような犯罪はなかったのです。

犯罪は共同で行った場合でも共犯による犯罪の実行行為が必要とされたのです。

そして、「共謀共同正犯」という犯罪形態も刑法に明文がなく判例で認められたものだったのです。

(共謀共同正犯とは共謀を行っただけの共犯者でも実行行為を他の共犯が行って犯罪が成立すれば
実行行為に関して支配的な影響力を持った者と認定されれば正犯として罰するという犯罪形態である。しかしながら、当時でも現在でもこの共謀共同正犯を認める刑法学者は少数であり、その理由は
共同の謀議に参加しただけで犯罪の実行に支配的な影響力を及ぼしたという認定は困難であり、
また実行行為を行った者が正犯であるという解釈原則があるからである。)

共謀共同正犯でさへ法の(明治年間に制定された現行刑法)明確な条文がなく、さらに日本国憲法制定以後では共謀共同正犯という犯罪形態は現行憲法の31条からする「罪刑法定主義」の要請から、戦前の判例を引き継ぐ戦後の判例も違憲の疑いが生じます。したがって、共謀共同正犯も現行刑法の解釈としては認められないという見解も重要になってきます。

こうした刑法の解釈状況の中で突然共謀があっただけで犯罪が成立するという共謀罪が法案として
出てくるのは二重の意味で不可解です。

2、すなわち第一に、明治年間に制定された法律でも共同謀議だけでは犯罪は成立しない、共犯者の共同での実行行為が必要であるという近代法の原則が確立していました。

その法的な意味は犯罪は実行行為があって初めて成立するものであり、単なる犯罪行為の相談をしただけであったり、犯罪行為を内心で願望しただけでは犯罪は成立しない。

ということは思想自体は処罰できないという近代法の大原則が根底にあるからです。

第二に、先述したように共謀共同正犯も日本国憲法制定以後では無理な解釈になっており、憲法の
規定する人権を過度に制限したり抑圧するような法律は憲法の原理に違反するのではないかという
理由が存在するからです。

こうして、共謀罪を法律として成立させようとする立法行為は無茶であると言わざるをえません。

2009年1月16日金曜日

戦前に回帰する法律の制定

この国もいよいよ危ない状況になってきた。戦前に普通選挙法が制定されると同時に「治安維持法」という稀代の悪法(悪法などないという立場もあるが)が制定されたことは有名であるが、この10年くらいでそうした戦前と限りなく近似するように、そうした法律の制定や法案の提出があった。

最近になって、もっとも治安維持法に匹敵するような法案の提出があった。
「共謀罪」という法律である。
この法律は犯罪の実行がなくても犯罪の共同謀議さへ存在するならば、犯罪が成立するというものである。
もしもこの共謀罪が制定されると、たとへ酒の席でも冗談で「あいつはなまいきだ。みんなでとっちめてやろう」とか言ったとすれば暴行罪の共同謀議があったことになり、犯罪が成立することになるであろう。
法案には大概の犯罪の「共謀罪」が表になって規定されているので簡単に大概の犯罪の「共謀罪」が
成立してしまうのである。
そうなると、この国も警察国家化への道をまっしぐらに突き進むことになる。